増田屋の歴史

奈良漬起源(歴史)

奈良漬の歴史は古く、奈良漬の最古の記録は、奈良時代にまでさかのぼります。
昭和63年奈良市二条大路のデパート建設現場で発掘調査された時に、「長屋王邸跡」から出土した木簡に『進物加須津毛瓜(たてまつりものかすづけうり)加須津韓奈須比(かすづけかんなすび)』とありました。当時はドブロクの上澄みを酒として飲み、 下に溜まったドロドロした中に塩漬野菜を漬けたものが保存食、香の物として珍重されていたようです。
「奈良漬け」は元々は瓜の粕漬で、その言葉は1492年(明応元年)「山科家礼記」に登場します。
江戸時代に入り、奈良・中筋町に住んでいた漢方医糸屋宗仙(慶長年間)が「シロウリ」の粕漬けを「奈良漬」という名で初めて売り出し、徳川家康に献上したといわれています。

奈良漬は粕漬から

奈良漬は粕漬から

歴史を紐解くと、奈良漬の最古の記録は、昭和63年に長屋王(684年~729年)の屋敷跡発掘調査の際に多くの出土品と共に「進物加須津毛瓜(たてまつりものかすづけけうり)」等の記載がある木簡が発見されました。
平安時代中期に入ると、延長5年(927年)に編纂された延喜式の中に多くのことが記載され、その中の1つに「粕漬」という名で、瓜、冬瓜・ナスが記載されていたようです。
当時の酒といえば現在の透明度のあるお酒とは違い、白く濁ったどぶろくを指していました。粕とは搾り粕ではなく、どぶろくの底に溜まるドロッとした沈殿物の染(おり)に野菜を漬けこんだものを当時の上流階級の保存食・香の物として珍重されていたようで、高級食として扱われていたようです。

奈良漬と呼ばれるように

奈良漬と呼ばれるように

「ナラツケ」、その言葉は1492年(明応元年)に「山科家礼記」に最初に登場します。当時から奈良の土産として人気があったようです。その後、1590年(天正18年)の「北野社家日記」や1597年(慶長2年)の「神屋宗湛献立日記」にも記載があり、たびたび登場して広く周知されていきます。

幕府へ献上

幕府へ献上

時は江戸時代、奈良中筋町に住んでいた医者であった糸屋宗仙(1596年~1615年)はシロウリの粕漬を「奈良漬」の名前で商品として売り出したところ、とてもおいしいと評判になりました。大坂夏の陣の時に徳川家康に献上したところ大変気に入られ、やがては江戸に呼び寄せられ、奈良漬作りの幕府御用商人にさせたと伝えられています。

清酒のはじまりと奈良漬

清酒のはじまりと奈良漬

奈良県は歴史が古く、「はじまり」はたくさんあります。日本清酒の「はじまり」は、奈良市東南に位置する「菩提山 正暦寺」にありました。正暦3年(992年)創建され、室町時代には当時最先端である酒造技術を確立するなど近代醸造法の基礎となりました。
酒造技術が向上するにつれて、酒を絞った粕で塩漬けした後のお野菜を漬ける現在の奈良漬製法の基礎が確立されました。

土用の丑の日と奈良漬

土用の丑の日と奈良漬

暑い夏を乗り切ろうと、「土用の丑の日」には鰻を食べる文化が日本にはあります。諸説ありますが、平賀源内が最初に始めたといわれています。鰻と奈良漬の組み合わせがベストマッチだと、昔から鰻の添えものとされ、いくつかその理由があります。

1.奈良漬酒精分が鰻の脂分を分解し、口直しに良い

2.江戸時代から、奈良漬の瓜は「うなぎ」と共に「う」がつくもので、縁起が良く食せば健康になると言われています。

3.奈良漬の成分であるメラノイジンが、うなぎに含まれるビタミン・ミネラルの吸収を助け、スタミナ強化、ストレス解消、血流改善、便秘解消に良いと言われています。また、活性酵素によって酸化を抑える「抗酸化作用」があり、体の中を錆びさせないと言われています。

メラノイジン

メラノイジン

奈良漬の野菜は黒く、酒粕はべっ甲色でとても鮮やかです。お酒を造る際に絞ってできる酒粕は真っ白ですが、アミノ酸と糖質が結合してできた褐色の物質「メラノイジン」が、長い時の間に発酵・熟成の工程を繰り返し、宝石のような美しい酒粕になります。